レオパルト2A0〜A4戦車





●開発

1960年代の初め、西ドイツとアメリカの間で、新型MBTを共同開発しようという動きが起こった。
当時、西ドイツ陸軍は、自国が装備していた1,000両のM48戦車の更新用として、レオパルト1戦車の後継車両の開発を計画していたが、アメリカ陸軍も、M60戦車の後継車両の開発計画をスタートさせようとしていた。
戦車の開発には多大なコストが掛かるため、開発コストの低減のために、両国は新型MBTを共同開発することを決定し、1963年8月1日に開発協定が締結された。

同年末には両国間の基本仕様もまとまり、細かい調整を行った後の1964年9月から、本格的な開発が行われることになった。
この計画は、1970年代に配備する新型MBTを共同開発しようというもので、西ドイツではKpz.70(Kampfpanzer 70)、アメリカではMBT70(Main Battle Tank 70)の名称が与えられることになった。

Kpz.70/MBT70は、西ドイツとアメリカの戦車技術の総力を挙げて作る、当時として世界最高の戦車を目指していた。
特に西ドイツ側は、MaK、クラウス・マッファイ、ラインメタル、ヘンシェルなど、ほぼ全ての戦車関連メーカがコンソーシアム(共同企業体)を作り、アメリカのジェネラル・モータース社と共に開発作業に当たった。

Kpz.70/MBT70は戦闘重量50t級の戦車で、油気圧式サスペンションを備え、主砲は自動装填装置付きの152mmガン・ラーンチャ、射撃統制装置には、レーザ測遠機や赤外線映像システムも組み込まれていた。
さらに副武装として、20mm機関砲が砲塔上に装備されていた。
乗員は3名で、操縦手も含めた全員が砲塔内に入るように設計されていた。
試作車は1966年に完成し、試験と改良が行われた。

しかし、Kpz.70/MBT70はあまりに高度、かつ多様な要求を盛り込み過ぎたため、複雑過ぎ、重量過大で、技術的、コスト的に問題が生じていた。
1968年には、Kpz.70/MBT70の1両当たりの単価は、レオパルト1戦車の2倍になることが見込まれた。
それに加えて、西ドイツとアメリカの戦車に関する要求仕様の相違点が目立つようになってしまった。

このため皮肉なことに、Kpz.70/MBT70が名称を採ったまさにその年の1970年1月、開発計画は中止されることとなった。
その結果、両国は別々に自分の好きなように戦車を作ることになり、アメリカでは後のM1エイブラムズ戦車の、西ドイツではレオパルト2戦車の開発が始められた。
とはいうものの、レオパルト2戦車の開発作業は、実はKpz.70/MBT70の正式中止以前に始められていた。

これは試験開発と称されていたが、両国の協定が、Kpz.70/MBT70以外の戦車の開発を禁じていたからである。
事実上の協定違反だが、あまりの野心作のKpz.70/MBT70のリスクを考えれば、当然だったともいえる。
こうした開発の端緒となったのが、ポルシェ社が1965年に提案したレオパルト1戦車の性能向上計画であった。
これは、Kpz.70/MBT70用に製作されたコンポーネントを使用して、レオパルト1戦車の性能向上を図ろうというもので、ポルシェ社によって研究開発が行われた。

この車両は、「フェルゴルデーター・レオパルト」(金メッキしたレオパルト)という、内容の分かり易い名称で呼ばれていた。
ポルシェ社の契約は1967年に切れたが、この頃にはすでに、Kpz.70/MBT70の前途が怪しいのは関係者には十分分かっていた。
このため、フェルゴルデーター・レオパルト計画はこのまま進行させることになった。

この時主契約社となったのはミュンヘンのクラウス・マッファイ社で、ポルシェ社は車体の開発、ヴェクマン社は砲塔の開発に加わることとなった。
なお、正確な時期は不明だが、この車両はフェルゴルデーター・レオパルトから、「カイラー(猪)」と名称が変更されている。

カイラーは、戦闘重量40t級の戦車で、主砲には、ラインメタル社が開発していた105mm滑腔砲を搭載し、射撃統制装置にはレーザ測遠機が組み込まれていた。
エンジンは、MTU社によってMB872 V型10気筒液冷ディーゼル・エンジンが開発されることになっていた。
エンジン出力は1,200hp見当で、出力/重量比は30hp/t程度となっていた。
カイラーの試作車は、1969〜70年にかけて2両(ET01、ET02)が製作された。

1969年末、Kpz.70/MBT70計画の終わりが確実になると、西ドイツ国防省防衛技術調達局は、何とか開発計画の成果を一部でも回収しようとプランを練った。
これは、Kpz.70/MBT70用のコンポーネントをカイラーに組み込もうというもので、「ボアー(豚)」と呼ばれたが、実車は製作されず計画だけに終わった。

1970年初め、当時の国防大臣のヘルムート・シュミットは、フェルゴルデーター・レオパルトに、Kpz.70/MBT70用にMTU社で開発されたエンジンを組み込んで、さらに研究を進めることを求めた。
カイラー計画は、次の段階としてすでに10両の試作車の製作が予定されていたが、これに追加して7両が発注されることになった。
再び主契約社となったのは、クラウス・マッファイ社であった。

試作車は1972〜74年にかけて製作されたが、実際完成したのは、車体が16両(第12号車体は製作されず)に砲塔が17基であった。
試作車の全体デザインは、レオパルト1戦車後期型のレオパルト1A4戦車に似ていたが、車体はより前端が尖り、エンジン・グリルが車体側面後部から車体後面に移されていた。
転輪や履帯はKpz.70/MBT70用のもの、上部支持輪にはレオパルト1戦車のものが流用された。

エンジンは、Kpz.70/MBT70用に開発されたものを小改良した、MTU社製のMB873 V型12気筒多燃料液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(出力1,500hp)が採用されていた。
変速機は、カイラーに用いられたZF社製の4HP-400から、レンク社製のHSWL354に変更されていた。
これらの車体、砲塔は、一部は軟鋼、一部は防弾鋼板製で、主砲、補助動力、走行装置等に幾つかのヴァリエーションがあり、試験を通じて車両が熟成されていったのが分かる。

例えば、PT11(試作第11号車体)とPT17車体は油気圧式サスペンションが取り付けられており、主砲は、T10(試作第10号砲塔)までが105mm滑腔砲で、T11砲塔からは120mm滑腔砲となった。
またT11砲塔のみ、Kpz.70/MBT70と同様、副武装に20mm機関砲が装備されていた。
この武装については、さらに別のプランもあった。

それは、Kpz.70/MBT70用の152mmガン・ラーンチャを装備するもので、これに従い、通常の砲搭載型がレオパルト2K(カノーネ/砲)、ガン・ラーンチャ搭載型がレオパルト2FK(フルークケルパー/ミサイル)と呼ばれるようになっていた。
しかし、レオパルト2FKは実用性およびコスト的理由から、1971年中には開発中止となってしまった。

レオパルト2戦車の試作車を使用した試験は、1972年夏から1974年春にかけて、トリアーの第41試験所で車体、グレディングの第81試験所で照準システムとエレクトロニクス、メッペンの第91試験所で砲塔と武装、さらに、ムンスターの第2戦闘兵科学校では部隊運用試験が行われた。
試験は順調に進んだが、問題が無いわけではなかった。
それは、試作車の戦闘重量が当初の予定より増加し、51.5tに達してしまったことである。

このためヴェクマン社によって、重量を1.5t減じた砲塔が設計された。
この砲塔は、「スピッツ・マウス(鼻先が尖ったネズミ科の動物)」砲塔と呼ばれ、基線長式のEMES-13光学式測遠機が取り付けられていた。
EMES-13は、基線長が350mmと小型で、砲塔前面に取り付けることができた。
しかし、せっかくの軽量化砲塔を吹き飛ばす出来事が起きた。

1973年の第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)である。
この戦争で、不用意に突進したイスラエル軍戦車部隊は、エジプト軍歩兵の対戦車ミサイルと対戦車ロケットで大損害を受けたのである。
一時は勘違いの戦車無用論まで出てきたこの戦争で、本当の教訓となったのは、戦車の防御力強化の必要性だった。

この結果、レオパルト2戦車の軽量化など論外で、逆にレオパルト2戦車の装甲を強化して、60t級戦車とすることが認められた。
ちょうどこの頃、対戦車ミサイルや対戦車ロケットの成形炸薬弾頭に有効な、「複合装甲」といわれる技術が開発されつつあった(通常の運動エネルギー弾にもある程度有効だが、特に成形炸薬弾に有効)。

このため、これを組み込んだ新型砲塔が製作されることになった。
この砲塔は、T14砲塔を改造して製作されており、T14mod.(第14号砲塔改良型)と呼ばれた。
レオパルト2戦車の試験は、1975年2〜3月にはカナダのキャンプ・シャイロで寒冷地試験が、同年4〜5月にはアメリカのアリゾナ州ユマで熱帯地試験が行われた。

これらの試験では、−30℃の寒冷地や+45℃の熱帯地でのエンジンの実用性や走行試験、射撃試験等が行われた。
これらの試験が北アメリカ大陸で行われたのは、単に西ドイツ国内に適当な試験場が無かっただけのことである。

しかし、こうした試験が行われる前に、またレオパルト2戦車の設計に影響する出来事が起こった。
Kpz.70/MBT70開発計画の中止で一旦関係が切れたアメリカが、再び西ドイツとの戦車の共同開発に興味を取り戻したのである。
これは、アメリカが開発を進めていたXM1戦車(後のM1エイブラムズ戦車)の生産コストがかなり高くなると予想されていたことと、開発の遅れから、戦力化がレオパルト2戦車よりかなり遅れると予想されたためである。

1973年中に両国間で、戦車のコンポーネントの共通化に関して意見が交換され、1974年12月には新型MBT開発に関する政府間協定が結ばれた。
これに基づいて、レオパルト2戦車とXM1戦車との仕様の共通化と、アメリカ陸軍によるレオパルト2戦車の試験が行われた。

その結果問題となったのは、レオパルト2戦車の装甲防御力の不足や、射撃統制装置が複雑で高価過ぎることなどであった。
これを受けて、アメリカ陸軍と、これまでの試験結果による西ドイツ陸軍の要求に合わせて、レオパルト2戦車の改良が行われることになった。

改良型は、レオパルト2AV戦車と呼ばれた。
AVはAustere Version:簡易型の意味だが、実際は決して廉価版というわけではない。
レオパルト2AV戦車は、車体2両(PT19、PT20)に砲塔3基(T19、T20、T21)が製作された。
これらは、1976年には完成した。

レオパルト2AV戦車の車体には中空装甲が採用され、砲塔は、T14mod.砲塔をベースとした、複合装甲を採り入れた角張ったものとなった。
射撃統制装置については、西ドイツ陸軍は、当時実用化されたレーザ測遠機を採用するつもりであったが、この機材には完全な信は置いておらず、光学式の基線長式測遠機も併用することにしていた。
しかし、アメリカ陸軍が無駄な冗長性を嫌ったため、基線長式測遠機は廃止されてしまった。

アメリカには、T19砲塔を搭載したPT19車体と、砲塔の無い(代わりにダミー・ウェイトを搭載)PT20車体が送られたが、T19砲塔には、XM1戦車の仕様に合わせて105mmライフル砲が装備されていて(後に西ドイツに返送後、120mm滑腔砲に換装された)、射撃統制装置にも、アメリカのヒューズ社製のシステムが搭載されていた。
レオパルト2AV戦車の試験は、メリーランド州のアバディーン車両試験場で1977年3月まで行われた。
その結果は、火力と機動力は両車は拮抗していたが、防御力はXM1戦車の方が勝っていると評価された。

結局、アメリカ陸軍は国産兵器を選び、レオパルト2AV戦車は採用されなかった。
なお、2両のレオパルト2AV戦車は西ドイツに返送され、西ドイツでの追加試験に用いられた。
1977年9月、最終的に西ドイツ陸軍は、レオパルト2AV戦車を新型MBTとして採用することを決めた。
制式化にあたって名称は、AVを除いた「レオパルト2」とされた。
レオパルト2戦車の生産発注は1,800両に上り、5つのバッチに分かれて生産されることになった。

クラウス・マッファイ社が主契約社とシステム・マネジャーとなり、MaK社が副契約社となった。
両社の生産割合は、クラウス・マッファイ社が55%、MaK社が45%とされた。
また、ヴェクマン社が砲塔製作に関して全責任を負った。
主砲の120mm滑腔砲は、ラインメタル社が生産した。
また射撃統制装置は、当初使用されていた西ドイツ製を止め、ヒューズ社が担当することとされた。


●構造

レオパルト2戦車の車体は、新型の複合装甲と従来の防弾鋼板を溶接して組み立てられた、当時としては最新のものであった。
車体の装甲厚は、公表されていない。
複合装甲は、現在でも詳しいことは不明だが、防弾鋼板にセラミック、樹脂等の素材をサンドイッチしたものと考えられている。

耐弾性能は、徹甲弾などの運動エネルギー弾に対してはそれほど顕著な効果を発揮しないが、第4次中東戦争で威力を発揮した対戦車ミサイルや対戦車ロケットの装備する成形炸薬弾頭に対しては、大きな効果を持っていた。
ただし複合装甲は、重量はまだしも容積を食うので、全ての部分に使用することはできない。
このため、被弾確率の高い前面と側面の主要部分に限定されていると考えられている。

複合装甲と並んで、成形炸薬弾頭に有効な装甲が、装甲板を間隔を空けて複数配置した中空装甲といわれるもので、車体側面にはこれが採用されているようである。
なお、車体側面には装甲スカートが取り付けられているが、この前半部分は厚みのあるものが使用されており、これも複合装甲といわれている。
この部分は、輸送時など車幅を減少させたい時は、車体上に跳ね上げることができるようになっている。

車内レイアウトは、車体前部が操縦室、車体中央部が砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室という一般的なものである。
操縦手席は車体前部右側にあり、シートは高さ調整が可能で、高位置にすれば直接顔を出して操縦することが可能である。
上部には、右側に開く旋回式ハッチが設けられている。

ハッチ上と左には3基のペリスコープがあり、前方140度の視界が得られる。
このうち中央のものは、夜間操縦用にパッシヴ赤外線式夜間映像ペリスコープに交換可能である。
操縦手席の左側は主砲弾薬の収容スペースになっており、27発収容の弾薬ラックが設けられている。
車体中央部の戦闘室上には、120mm滑腔砲を装備した全周旋回式砲塔が搭載されている。

この砲塔は、レオパルト1戦車の避弾傾始を重視した、平べったく曲面で構成されたものから一転して、垂直に立った平面装甲板で構成されている。
これは、やはり複合装甲が採用されたことが大きい。
複合装甲の取り付け部位は前面と側面と推定されており、その他は中空装甲となっている。
装甲厚は、やはり公表されていない。

砲塔内乗員は従来通り3名で、右側前方に砲手、その後方に車長、左側に装填手が位置する。
砲塔上面右側には車長用キューポラがあり、キューポラの周囲には6基のペリスコープが配置されている。
また、キューポラの前部には車長用のPERI-R18パノラミック・ペリスコープ(倍率2倍/8倍の切り替え式)があり、必要な場合、砲手にオーバー・ライドして照準することができる。
砲塔上面左側には装填手用ハッチがあり、左斜め前向きにペリスコープが設けられている。

ハッチの周囲には、対空機関銃取り付け用のリング状機関銃架がある。
装填手席の左側側面には小型のハッチがあり、砲弾の積み込みと空薬莢の排出に使用される。
ただし、このハッチは生産途中に廃止されている。
メインの砲手用照準機は、クルップ・アトラス・エレクトロニク社製のEMES-15で、主砲防盾右側に取り付けられている。

この装置は、光学照準機、レーザ測遠機、熱線暗視装置を一体化したものである。
光学照準機は倍率15倍、レーザ測遠機は、近赤外線レーザを使用し、9,900mまで誤差10mでの測距が可能である。
熱線暗視装置は、WBG(Warmebildgerat:熱赤外線画像装置、原型のレオパルト2戦車は後日装備)で、目標の熱を捉えて画像化するパッシヴ式装置である。

また、サブの砲手用照準機として、主砲と同軸にFERO-Z18テレスコープ(倍率8倍)も装備されている。
なお、照準装置は3つのジャイロスコープで安定化されており、車体の運動に関わり無く、目標を追い続けることができる。
そして主砲は、照準装置に自動的に追従するよう設計されているので、走行間射撃でも高い命中精度を誇っている。

レオパルト2戦車の主砲は、西側の戦後第3世代MBTの標準武装となった、ラインメタル社製の44口径120mm滑腔砲Rh120が採用されている。
同砲の性能は、射距離2,000m以上で新世代のソ連製MBTを撃破するのが目標とされていたが、実際、その性能は1991年の湾岸戦争で、同砲を装備したアメリカのM1A1戦車により証明されている。
なお、滑腔砲というのは、砲身内にライフルの無いスムーズな砲身を持つ砲である。

従来のライフル砲では、砲身内に設けられたライフリングという溝に弾丸を噛み合わせて回転させることで、弾丸を安定して飛翔させるようになっていた。
しかし、ライフル砲には不都合もあり、滑腔砲が作られたのである。
滑腔砲がライフル砲に勝る理由には、最近の戦車砲弾の発達がある。

最近の戦車砲弾は、弾芯に劣化ウランやタングステンといった非常に硬い金属を使うが、それをより速く遠くまで飛ばすには、細長い方が有利である。
しかし、ライフル安定の場合、あまり弾丸を細長くすると、安定して飛翔させることができなくなってしまうのである。
他にも、砲身の磨耗が少ないことや砲身を肉薄にできる、ライフリングの抵抗を無くせるなど理由はあるが、最大の理由は、より細長い弾丸を使用することによる威力の向上である。

滑腔砲はライフリングが無いので、弾丸には特別な安定手段が必要である。
そのため使われるのが、安定翼を使って飛翔時の安定を得る弾丸である。
レオパルト2戦車の主砲弾薬として使われているのは、APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)と、HEAT-MP(多目的対戦車榴弾《成形炸薬弾》)である。
両者とも、砲の口径は120mmあるのに、弾芯の直径は32mmしかない。

それを撃ち出すために、サボ(Sabot:分離装弾筒)が取り付けられているわけである。
主砲弾薬の搭載数は42発で、この内27発が操縦手席左側の弾薬ラック、15発が砲塔後部のバスル内に収容されている。
この砲弾は、燃尽薬莢と呼ばれる薬莢そのものが燃えてしまうもので、発射後は金属の底部しか残らない便利な構造となっている。

なお、砲塔後部のバスルは、乗員区画とは隔壁で仕切られており、また、被弾誘爆時には上面に爆風を逃がすブロウオフパネルが設けられていて、乗員の安全が図られている。
副武装としては、主砲同軸と対空用に、ラインメタル社製の7.62mm機関銃MG3が1挺ずつ装備されている。
対空機関銃は、車長または装填手用ハッチ周囲のリング・マウントに装備される。
また、砲塔の左右側面後部には、各8基ずつ77mm発煙弾発射機が装備されている。

さらに、乗員の携行用に、手榴弾と9mm短機関銃MP2も車内に収容されている。
車体後部の機関室は、防火隔壁によって戦闘室と分離されている。
エンジンは、MTU社製のMB873Ka-501 90度V型12気筒多燃料液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジンが採用されている。

排気量は47,600cc、出力は1,500hpである。
このエンジンは、現用の戦車用ディーゼル・エンジンとしては最高級の性能を誇っており、高過給、高速回転、良好な圧縮比を備え、コンパクトで、信頼性、耐久性に優れたエンジンである。
変速機は、レンク社製のHSWL354/3自動変速機が採用されている。

この変速機は、トルク・コンヴァータを使った流体機械式で、ギアは前進4段/後進2段で、電気油圧制御でスムーズな変速が可能である。
動力伝達機構最大の特徴は、操向装置にも流体を使用したハイドロ・スタティック式操向装置が使用されていることで、無段階のスムーズな旋回が可能となっている。
変速機は、エンジンと一体化したパワーパックとしてまとめられており、非常にコンパクトに仕上げられている。

サスペンションは、伝統的なトーションバー・サスペンションを採用しているが、そのトラヴェル長は上限350mm、下限175mmと、全部で525mmという大きな値となっている。
なお、第1、第2、第3、第6、第7転輪にはダンパが取り付けられているが、このダンパはロータリー・ダンパと呼ばれる新型で、効率の高いものとなっている。
転輪は、ラバー付きの複列式転輪で、片側7個となっており、片側4個の上部支持輪と組み合わされている。

履帯は、定評あるディール社製のダブル・ピン/ダブル・ブロック式、ゴム・ブッシュ付き履帯である。
これらによってレオパルト2戦車は、現用のMBTの中でも最高級の機動力を実現している。
ちなみに、レオパルト2戦車の路上最大速度は72km/h(実際は90km/h以上出せるという)、燃料搭載量は1,200リッターで、路上航続距離は550kmである。

その他、特殊装備としてはスノーケル装置があり、車長用キューポラ上に筒状のカニングタワーを付ければ、最大4mの潜水走行が可能となっている。
エンジン火災に備えて、フロンガスによる消火装置も装備されているが、これは、レオパルト2A4以降はより性能の高いものに改良されている。
NBC防護装置、無線装置、冷暖房装置も全て完備されている。


●生産

レオパルト2戦車は、正規の量産に入る前に3両の先行生産型が製作された。
第1号車は1978年10月11日に完成したが、この車両は、新造車体にT21砲塔を組み合わせたものだった。
この車両はムンスターの第2戦闘兵科学校に送られ、1979年初めまで部隊運用試験が行われた。
残りの2両も続いて完成し、1979年初めまで受領試験と最終試験が行われた。

4両目、すなわち最初の生産型のレオパルト2戦車は、1979年10月25日、正式に西ドイツ陸軍に引き渡された。
生産型のレオパルト2戦車は当初、全部で1,800両が発注され、5つのバッチに分かれて生産された。
この内、第1バッチが原型のレオパルト2戦車で、第2、第3バッチがレオパルト2A1戦車、第4バッチがレオパルト2A3戦車、第5バッチがレオパルト2A4戦車である。
ちなみにレオパルト2A2戦車は、第1、第2バッチの車両を第3バッチと同じ仕様に改良したものを指す。

レオパルト2戦車の最初の生産分である第1バッチは、1979年末から1982年3月までに380両が生産された。
決められた生産割合に従い、クラウス・マッファイ社が209両を生産し、MaK社が171両を生産している。
最初の6両はムンスターの戦車学校に送られたが、それ以降は実戦部隊への配属が進んだ。
これらの車両は、第I軍団(北ドイツ)の戦車部隊に、M48A2G戦車を代替して配備された。

最初に配備されたのは、第1機甲師団の第31、第33、第34戦車大隊、第3機甲師団の第81、第83、第84戦車大隊などである。
一部、レオパルト1戦車を装備していた部隊では、玉突き式にレオパルト1戦車が追い出されて機甲擲弾兵師団の戦車大隊に移動し、そこのM48A2G戦車を代替している。
第2バッチは、1982年3月から1983年11月までに450両が生産され、レオパルト2A1と呼ばれた。

生産割合は、クラウス・マッファイ社が248両、MaK社が202両であった。
第1バッチからの最大の改良点としては、アメリカのテキサス・インストゥルメンツ社製の統合型熱線暗視装置が装備されたことが挙げられる。
第1バッチでは、テレフンケン社製のPZB200熱線暗視装置が、便宜的に主砲防盾上に搭載されていた。
この装備によって、夜間/昼間問わず、レオパルト2戦車の戦闘力が大幅にアップされた。

その他にも細かい変更点が多く、砲塔後端の棒状の横風センサの廃止、燃料補給口が機関室上から車体左右袖部上に移動、砲塔側面に、車内と通信するためのインターコム取り付けのためのソケットの増設、車体後部のワイア取り付け具の向きが変わり、ワイア長が5mになった、車長用サイトの装甲カバーの形状が角張ったものになった、弾薬収納ラックの改良などである。

第3バッチは、1983年11月から1984年11月までに300両が生産された。
生産割合は、クラウス・マッファイ社が165両、MaK社が135両であった。
第2バッチとの相違点はごくわずかで、車長用サイトの高さが5cm上がり、車長用キューポラのカバープレートが角張った形になった、車体袖部のNBC防護装置収納部にカバーが取り付けられるようになった等である。

また、第2バッチのレオパルト2戦車から熱線暗視装置が搭載されるようになり、夜間戦闘能力が大幅に向上したため、第1バッチの車両にもこの装置を搭載して性能向上を図ることになった。
併せて、横風センサの廃止、燃料補給口の移動、車長用サイトの高さ変更、車長用キューポラのカバープレートの形状変更など、第3バッチに準じる改修を施すことになり、第2バッチの車両も改修の対象とされた。
改修作業は1984年からスタートし、1987年に最後の車両の改修が終わった。

この改修を受けた第1、第2バッチのレオパルト2戦車は、レオパルト2A2と呼ばれるようになった。
続く第4バッチは、レオパルト2A2の改修と並行して生産されたもので、1984年12月から1985年12月までに300両が生産され、レオパルト2A3と呼ばれた。
生産は、クラウス・マッファイ社が165両、MaK社が135両である。

第3バッチとの最大の相違点は、無線機に新型のSEM80/90ディジタルVHF無線機を搭載したことで、それに合わせてアンテナが短くなっている。
その他の変更点は、排気口のカバーの桟が左右水平のものから、放射状のものに変更された、砲手用に可変式のチェストサポートが取り付けられたこと等である。

また、ちょうど第4バッチの就役と時を同じくして、西ドイツ陸軍に新しいグリーン、ブラウン、ブラックの3色迷彩が導入されている。
なお、砲塔の左側面には弾薬補給用の小ハッチがあったが、試験の結果、敵弾が命中すると若干緩みが出て、NBC防護に影響することが分かった。
このため、この部分は後にプレートを溶接して塞がれるようになった。

当初の計画では最後のバッチとなるはずだったのが、第5バッチである。
第5バッチは、1985年12月から1987年3月までに370両が生産され、レオパルト2A4と呼ばれた。
生産は、クラウス・マッファイ社が190両、MaK社が180両である。
第4バッチとの相違点は、新しい消火システムが導入されて乗員の生存性が増したこと、対空機関銃リングの変更、照準機カバーなど細かな点だけである。

ただし、生産途中からもう少し目立つ変更が加わり、上部支持輪の位置が変更されている。
また、砲塔左側面の弾薬補給用ハッチは、後期の生産分では初めから省略されるようになった。
なお、レオパルト2A4のうち最後の1両は、KVTと呼ばれるレオパルト2改良計画のテストベッドとして使用された。
本来、レオパルト2戦車の生産は第5バッチまでで終わるはずだったが、第5バッチの生産終了後の1987年6月、150両の追加発注が行われ、第6バッチとして1988年1月から1989年5月にかけて生産された。

タイプはレオパルト2A4のままで、生産は、クラウス・マッファイ社が83両、MaK社が67両である。
第5バッチとの相違点は、メインテナンス不要の新型バッテリが採用されたこと、ディール社製の570FT新型履帯の採用、クロム、亜鉛を含まない塗料の採用、ウォーニングライトが操縦手にも見える位置に移動したこと等で、さらに後期の車両では、装甲スカート前半の箱型部分の形状が変更されている。
なお、砲塔左側面の弾薬補給用ハッチは初めから省略されていた。

さらに、1989年5月から1990年4月までに100両が生産されたのが第7バッチである。
やはり、タイプはレオパルト2A4のままで、生産は、クラウス・マッファイ社が55両、MaK社が45両である。
このバッチは、第6バッチ後期の車両と全く同じである。
1991年1月から1992年3月までに75両が生産されたのが、第8バッチである。

やはり、タイプはレオパルト2A4のままで、生産は、クラウス・マッファイ社が41両、MaK社が34両である。
このバッチでは、少しは目に付く変更点がある。
それは、装甲スカートの後半部分が6枚に分割されるようになったことである(初期は元のまま)。
その他は細かい点で、砲塔側面の発煙弾発射機のベースプレートの形状が変更された程度である。

なお、後期の車両からは、砲身に歪みを検知するためのボアサイト・ミラーが取り付けられるようになったが、これは、それ以前の車両にも取り付けられている。
なお、第8バッチの内の2両はTVMプログラムに使用された。
最後のレオパルト2戦車が引き渡されたのは1992年3月19日のことで、総生産数は2,125両に上った。

この間、既存のレオパルト2戦車も順次、グレード・アップが図られている。
主なものは、SEM80/90ディジタル無線機の搭載、ディール社製の570FT履帯への換装などで、こうした改修を受けた結果、全てのレオパルト2戦車は、厳密には若干の相違はあるものの、レオパルト2A4と呼ばれるようになった。


<レオパルト2A4戦車>

全長:    9.668m
車体長:   7.722m
全幅:    3.70m
全高:    2.48m
全備重量: 55.15t
乗員:    4名
エンジン:  MTU MB873Ka-501 4ストロークV型12気筒多燃料液冷ターボチャージド・ディーゼル
最大出力: 1,500hp/2,600rpm
最大速度: 72km/h
航続距離: 550km
武装:    44口径120mm滑腔砲Rh120×1 (42発)
        7.62mm機関銃MG3×2 (4,750発)
装甲:    複合装甲


<参考文献>

・「PANZER2005年12月号 MTU社の戦車用ディーゼル・エンジン(1)」 林磐男 著  アルゴノート社
・「PANZER2000年2月号 最初の第3世代MBT レオパルト2」 小林直樹 著  アルゴノート社
・「世界AFV年鑑 2002〜2003 戦車&自走砲/ロケット」  アルゴノート社
・「グランドパワー2005年1月号 レオパルト2(1)」 一戸崇雄 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2005年2月号 レオパルト2(2)」 一戸崇雄 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2005年4月号 レオパルト2(3)」 一戸崇雄 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2005年5月号 レオパルト2(4)」 一戸崇雄 著  ガリレオ出版
・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後〜現代編」  デルタ出版
・「最新陸上兵器図鑑 21世紀兵器体系」  学習研究社
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著  学習研究社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著  グランプリ出版
・「世界の最強陸上兵器 BEST100」 成美堂出版
・「世界の最新陸上兵器 300」  成美堂出版
・「ドイツ戦車発達史」 斎木伸生 著  光人社
・「戦車名鑑 1946〜2002 現用編」  コーエー
・「世界の主力戦車カタログ」  三修社


BACK  HOME