重駆逐戦車フェルディナント/エレファント





●開発

1935年に、ドイツ陸軍兵器局の長であるリース将軍の提案により、当時開発中であったZW(後のIII号戦車)やBW(後のIV号戦車)を上回る、30t級の重戦車を開発する計画がスタートした。
兵器局第6課は、1938年9月にヘンシェル社に対して30t級戦車の開発を依頼し、これはVK.30.01(H)として開発が進められた。

さらに翌39年末に兵器局第6課は、ポルシェ社に対しても同様の戦車の開発を求め、VK.30.01(P)として開発が進められることになった。
しかし、1940年5月10日に開始されたフランス電撃戦における戦訓から、30t級の戦車では火力、装甲共に不充分であると判断されたため、より大重量の戦車を開発することに計画が変更され、VK.30.01計画はキャンセルされた。

兵器局第6課は1941年5月に、ポルシェ社に対して45t級戦車の開発要求を出したが、これに対しポルシェ社は、以前試作したVK.30.01(P)を大型化したVK.45.01(P)をまとめ上げた。
なおこの時、兵器局第6課はヘンシェル社に対しても36t級戦車の開発要求を出しており、これに対しヘンシェル社は、以前試作したVK.30.01(H)を拡大したVK.36.01(H)を設計した。

兵器局第6課がポルシェ社とヘンシェル社に提示した新型戦車の要求仕様は、前面装甲厚100mm、側面60mm、主砲は射距離1,400mで100mm厚の均質圧延装甲板を貫徹すること、最大速度は路上で40km/hというものであった。

ポルシェ社のVK.45.01(P)は、主砲として、フランス戦で唯一連合軍戦車の強力な前面装甲を貫徹することができた8.8cm高射砲FlaK36を原型とする、56口径8.8cm戦車砲KwK36を搭載した。
一方、ヘンシェル社のVK.36.01(H)は、ゲレート0725の名称で開発が進められていた75.5口径7.5cm口径漸減砲を搭載することを予定していたが、口径漸減砲の砲弾には戦略物資で保有量が限られていたタングステンを使用するため、1941年夏にヒトラーは口径漸減砲の使用を禁止してしまった。

このため、急遽主砲を8.8cm戦車砲KwK36に変更することになったが、VK.36.01(H)用の砲塔に搭載することは不可能だったため、やむを得ず、ポルシェ社がVK.45.01(P)用に設計した砲塔をVK.36.01(H)に流用することになった。
しかし、VK.45.01(P)用砲塔のリング径がVK.36.01(H)用砲塔より200mm大きかったため、搭載するにはVK.36.01(H)の車体を拡大しなければならなかった。

車体の再設計によってVK.36.01(H)は45t級の戦車になり、名称もVK.45.01(H)に変更された。
VK.45.01(H)のパワープラントは、マイバッハ社製のHL210P45 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力650hp)と、同社製のオルファー401216A油圧操作式プリセレクタ型変速機(前進8段/後進4段)の組み合わせとなっていた。

一方、ポルシェ社のVK.45.01(P)の方は、電気駆動式という特殊な駆動方式を採用していた。
これは、ガソリン・エンジンにより発電機を駆動させ、これにより得た電力を電動機に伝え、起動輪を動かすというものであった。
この背景には、従来の変速機よりも信頼性が高く、無段階変速が可能というメリットがあったが、実際には機構が複雑過ぎて、故障は従来の変速機よりも多かったことも事実である。

エンジンは、グラーツ・ジンマーリング・パウカー社製のタイプ101/1 V型10気筒空冷ガソリン・エンジン(出力320hp)が2基搭載された。
発電機はジーメンス社製のaGV、電動機は同社製のD1495aが使用された。
VK.45.01(P)およびVK.45.01(H)の試作車は、1942年4月20日のヒトラーの誕生日に合わせて展覧することになったため、大急ぎで製作が進められた。

東プロイセン、ラシュテンブルクの総統本営で披露された2両の試作車の内、ヒトラーは明らかにポルシェ社のVK.45.01(P)を贔屓していたが、同年7月からクンマースドルフ試験場で開始された試験の結果、VK.45.01(P)はその特殊な駆動機構に問題が続出し、ヘンシェル社のVK.45.01(H)がVI号戦車「ティーガー(虎)」(Sd.Kfz.181)として制式採用され、8月から本格的量産が開始された。

競作に敗れたVK.45.01(P)であるが、実は、試作車も完成していない1941年9月10日にすでに100両の生産が発注されていた。
この生産発注を受けて、ポルシェ社はクルップ社に対して100両分の装甲板を発注し、ニーベルンゲン製作所において1941年末より生産を始め、翌42年4月には第1号車が完成、6月には第2号車が完成して、クンマースドルフ試験場において試験に供された。

しかし、試験の結果は芳しくはなく、1942年10月26日から31日まで行われた検討会においてVK.45.01(P)の生産中止が決まったが、その時点ですでに10両の車体(製造番号150001〜150010)が完成しており、うち4両には砲塔も載せられ、転換訓練もスタートしていた。

問題となったのは残された資材で、すでに所定のサイズにカットされた装甲板はそのまま他に転用することもできなかったが、これに先立つ9月22日の総統会議において、クルップ社が開発中であった71口径8.8cm対戦車砲PaK43を搭載し、装甲厚は前面で200mmという、当時例を見ない強力な自走砲へこの車体を転用することが決定された。

この決定に伴い、アルケット社に対して自走砲化の設計が命じられ、1942年11月30日にはその作業を終了した。
車体後部に71口径8.8cm対戦車砲を収める完全密閉式の固定戦闘室を設け、機関は車体中央部に配して後部に電動機を置き、車体前面は避弾傾始を考慮した形状に改められて、戦闘室前面のボール・マウント式銃架に7.92mm機関銃MG34を備えるというのがその骨子であった。

基本的にはこの設計がそのまま用いられたが、改造期間の短縮を図るために車体前面はVK.45.01(P)と同じ形状とし、100mm厚の増加装甲板を装着することに設計が変更された。
また、200mmという装甲厚に対応したボール・マウント式銃架を開発するには時間が必要だったため、結局、自衛用機関銃は未装備とされてしまった。

これは後に問題視されることになるが、開発期間の短縮のためには仕方なかった。
エンジンは、VK.45.01(P)に用いられたタイプ101/1 V型10気筒空冷ガソリン・エンジンに替えて、III/IV号戦車に用いられて信頼性が保証されている、マイバッハ社製のHL120TRM V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力300hp)が2基搭載されることになった。

この自走砲は当初、「長8.8cm付き突撃砲」と呼ばれていたが、1943年2月6日に開かれた総統会議において、VK.45.01(P)の設計者であるフェルディナント・ポルシェ博士の創造的な貢献を称揚するために、「フェルディナント」の名称を与えることが決定され、同年3月23日に、「8.8cm砲加農突撃砲フェルディナント」として制式化され、Sd.Kfz.184の特殊車両番号が与えられた。

フェルディナント重駆逐戦車の主砲に採用された71口径8.8cm対戦車砲PaK43/2は、Pz.Gr.39/1風帽付被帽徹甲弾を使用した場合、砲口初速1,000m/秒、射距離1,000mで165mm、2,000mで132mmの均質圧延装甲板を貫徹することが可能で、ドイツ軍戦車を苦しめたソ連軍のT-34中戦車やKV-1重戦車を遠距離から一撃で撃破することが可能であった。

1943年11月25日には、たった2両のフェルディナント重駆逐戦車で合計54両ものソ連軍戦車を撃破する戦果を挙げている。
本来ならば、VK.45.01(P)用の装甲板を製作したクルップ社がフェルディナント重駆逐戦車への改修作業を行うべきであったが、期間短縮のために、ニーベルンゲン製作所の隣町といえるリンツのオーバードーナウ製鋼所が機関位置の移動などの改修を行い、戦闘室と主砲はクルップ社で製作されることになった。

オーバードーナウ製鋼所では、まずVK.45.01(P)の最終号車(製造番号150010)の車体に対する改造作業に着手し、次いで、新たに90両分の装甲板を用いた車体製作を1942年11月頃から開始して、翌43年4月には全車の改修生産を終了した。

当初、最終組み立てはクルップ社で行われることになっていたが、1943年2月6日の総統会議において、当時国務大臣を努めていたシュペーアによりニーベルンゲン製作所で行うことに方針が変更され、3月から戦闘室や砲などのクルップ社からニーベルンゲン製作所への移送が始まった。
そして、3月中にフェルディナント重駆逐戦車の試作車と生産型第1号車がロールアウトし、5月12日には生産型最終号車が塗装を施した完成状態で引き渡されて、90両全車(製造番号150011〜150100)の生産を終了した。


●戦歴

フェルディナント重駆逐戦車の生産が急ピッチで進む中、1942年12月26日付でその受け皿として指定されたのが、III号突撃砲を装備する第190、第197、第600突撃砲大隊であった。
これらの部隊は、番号をそのままとして重突撃砲大隊と改称され、それぞれ30両ずつのフェルディナント重駆逐戦車が配備されることが決められた。

これらの部隊は1943年1月31日付で発効されたが、まだ改編など開始される前に機甲兵総監の座に就いたグデーリアン将軍により、2個重戦車駆逐大隊がそれぞれ45両のフェルディナント重駆逐戦車を装備することに方針が変わった。
その1番手として、第197突撃砲大隊が4月1日付でオーストリアのブルックにおいて第653重戦車駆逐大隊と改称され、栄えある初代大隊長の座に就いたのはハインリヒ・シュタインヴァクス少佐であった。

その後、第653重戦車駆逐大隊は人員の補充に努め、4月末にはその総兵員数を1,000名としている。
車両数でいえば45両しか装備しないフェルディナント重駆逐戦車であったが、それを機能的に運用しようとするならば、この程度の人員を要しなければならなかったのである。
これらの隊員の中から、将校と車長、そして操縦手を中心とした選抜隊員がニーベルンゲン製作所に送り込まれ、転換訓練が実施された。

当時、ドイツ軍はクルスクに突出しているソ連軍を挟撃し、劣勢を一気に挽回しようという「ツィタデレ(城塞)」作戦を計画しており、フェルディナント重駆逐戦車を装備する重戦車駆逐大隊もこの作戦に投入されることになっていた。
ツィタデレ作戦の発動は1943年7月初めと決められていたため、生産と訓練を並行して進めなければ、とても作戦開始時に戦闘が可能な状態とすることなど不可能だったのである。

5月に入ってから同大隊は、オーストリアのノイジーデル・アム・ゼーへに移動し、フェルディナント重駆逐戦車の引き渡しを待つことになる。
この第653重戦車駆逐大隊の編制に続いて、3月22日付で、フランスのルーアンに展開していた第654駆逐戦車大隊が重戦車駆逐大隊へ改編され、初代大隊長には、駆逐戦車大隊時代の隊長を務めていたカール・ハインツ・ノアク少佐がそのままスライドする形で着任した。

重戦車大隊と同様に、新たに編制された重戦車駆逐大隊もその定数は45両と定められたが、最初にフェルディナント重駆逐戦車を受領したのは、ルーアンにおいて人員の補充に努めていた第654重戦車駆逐大隊で、第653重戦車駆逐大隊の手により数度に渡る鉄道輸送が行われて、同大隊向けの45両のフェルディナント重駆逐戦車が揃ったのは5月10日のことであった。

続いて、第653重戦車駆逐大隊に対する配備も開始されたが、同大隊はこれに先立ち古巣のブルックに移動しており、同地の演習場を宿舎としてフェルディナント重駆逐戦車の受領と訓練を実施したが、その編制が完了したのは6月に入ってからと思われる。
各大隊は、それぞれ4両のフェルディナント重駆逐戦車をを装備する3個小隊から成る第1〜第3中隊と、これに加えて大隊本部に3両、中隊本部にそれぞれ2両が配備された。

さらに、III号戦車長砲身型5両と、同じく長砲身砲装備のIII号指揮戦車1両を編制定数としており、この編制で7月からのクルスク戦に投入されているが、第654重戦車駆逐大隊に限って、生産型第1号車がクンマースドルフ戦車試験場に残されたため、定数から1両を引いた44両という編制で参戦している。

各大隊共に独自の整備中隊を保有しており、Sd.Kfz.9牽引車15両と、35t牽引車2両(実際には完成すること無く終わり、実戦投入前にベルゲパンター戦車回収車に変更された)が配備されたが、それ以外の装備は不明である。
この2個大隊の編制に続き、1943年6月8日付で第35戦車連隊本部を主幹として第656重戦車駆逐連隊が編成された。

連隊長には、第35戦車連隊の長であったエルンスト・ヴィルフェルム・フライヘア・フォン・ユンゲルフェルト予備役中佐がそのまま収まり、両大隊は第656重戦車駆逐連隊の傘下に入って、第653重戦車駆逐大隊は同連隊の第I大隊、同じく第654重戦車駆逐大隊は第II大隊となった。
また、連隊本部としてII号戦車3両、III号戦車N型3両、III号戦車長砲身型19両(後に、12両は第12機甲師団に委譲された)が配備されていた。

さらに支援部隊として、これまた新たに開発されたIV号突撃榴弾砲ブルムベーア45両を装備する第216突撃戦車大隊が第III大隊として配備され、加えてIII号戦車10両(長砲身型7両、N型3両)、BIV重爆薬運搬車36両を装備する第313無線誘導戦車中隊と、III号突撃砲10両とBIV重爆薬運搬車36両を装備する第314無線誘導戦車中隊が編制に組み込まれて、戦闘車両だけで150両を超える堂々たる連隊となった。

また、配備時期は不明だが、連隊の編制にはSd.Kfz.250/5装甲観測車3両、Sd.Kfz.251/8装甲救急車3両が加わっていたが、どの部隊に配備されていたのかは明らかにされていない。
ツィタデレ作戦発動前に配備と訓練が行われたフェルディナント大隊は、訓練がまだ充分ではなく、車両自体にも問題が生じていたが、これらを解決する時間はもはや無く、不満足ではあったが、1943年6月9日から12日にかけてそれぞれ鉄路東部戦線に向かって輸送が開始された。

第656重戦車駆逐連隊は、ツィタデレ作戦において主力となる、モーデル将軍が指揮を執る中央軍集団傘下の第9軍に配備されるため、オリョール南方35kmに位置するズミーイェフカ駅で降ろされ、それぞれ中隊別に指定された集結地に向かって自走して移動を行った。
第653重戦車駆逐大隊の場合、第1中隊はクリキー、第2中隊はゴスチーノヴォ、そして第3中隊はダヴィドヴォとなっていたが、第654重戦車駆逐大隊の集結地は不明である。

この集結地に6月30日まで留まった各中隊は、それぞれ周囲の地形に合わせた最後の訓練を行って練度の向上に努め、明けて7月1日にはソロチ・クストゥイに移動して、燃料の補給などが行われた。
続く2日にはノーヴォポーレヴォに、3日にはオリョールとクルスクを結ぶ鉄路の問に位置するグラズノーフカに到着して作戦発動までの待機に入った。
1943年7月5日午前3時、ついにツィタデレ作戦が発動され、各戦区でドイツ軍の砲撃が開始された。

作戦の進行中、各部隊が毎日夕刻に自隊の出動兵力を通知していたが、フェルディナント重駆逐戦車の出動数は、7月7日が37両、8日が26両、9日が13両、10日が24両、11日が12両、12日が24両、13日が24両、14日が13両であった。
ツィタデレ作戦が開始された7月5日から14日までに、合計19両のフェルディナント重駆逐戦車が全損として失われた。

大部分は、機関室通気用グリルに対する重砲直撃弾の犠牲になったものである。
4両は、電動式駆動装置内の電流ショートによる火災で脱落した。
1943年7月12日に始まったソ連軍の反攻は、ドイツ軍にハーゲン・ラインへの後退を余儀なくさせた。
その際、8月1日までにさらに20両のフェルディナント重駆逐戦車が失われた。
やむなく放棄される車両の大部分は、使用可能の状態で敵の手に落ちるのを防ぐために乗員自らが爆破した。

第656重戦車駆逐連隊は、同連隊のフェルディナント重駆逐戦車の損害39両に対して、戦闘不能にした敵戦車合計502両、加えて対戦車砲20門、野砲約100門の戦果を報告している。
第656重戦車駆逐連隊は、フェルディナント重駆逐戦車50両の整備を始めるため、前線からドニエプロペトロフスクの休養陣地へ後退せよとの命令を8月下旬に受けた。

9月1日までにドニエプロペトロフスクへ後退していた部隊は、同地でフェルディナント重駆逐戦車を修理し、第653重戦車駆逐大隊の指揮下に入った。
15両のフェルディナント重駆逐戦車の修理は迅速に終わり、前線の第653重戦車駆逐大隊に配備された。
1943年の夏および秋の第653重戦車駆逐大隊におけるフェルディナント重駆逐戦車の稼働状況は、以下の通りであった。

年月日 保有数 稼働台数 修理中
1943年8月 1日 50 26 24
1943年8月20日 50 12 38
1943年9月 1日 50 10 40
1943年9月18日 50 8 42
1943年9月30日 49 20 29
1943年11月 1日 48 9 39
1943年11月30日 42 7 35
1943年12月 3日 42 4 38

出撃4か月後の1943年11月5日、第653重戦車駆逐大隊は敵戦車582両、対戦車砲344門、火砲133門、対戦車銃103挺、航空機3機、装甲偵察車3両、突撃砲3両の撃破と破壊の戦果を報告した。
11月29日、大隊は西方へ撤退し、休養地にてフェルディナント重駆逐戦車のオーヴァーホールを行なうよう命じられた。
それまでに、各車両の走行距離は2,000kmに達していた。

第656重戦車駆逐連隊はすでに1943年9月1日、フェルディナント重駆逐戦車に関する緊急改善の要望31件を列挙した長い一覧表を発送していた。
この要望表には、機関銃を砲側に持参して、8.8cm対戦車砲の砲身を通じて射撃できるようにする提案も含んでいた。
必要な資材を入手できる限り、部隊内でこの改修作業を実施しようというものであった。

実際、6週間以内で50両のフェルディナント重駆逐戦車の装備増強ができた。
ところが、これらの車両を前線の近くで改修する代わりに、まだ残っている48両のフェルディナント重駆逐戦車を製造会社のニーベルンゲン製作所へ送れという命令が来た。
第656重戦車駆逐連隊が発送した改善要望リストは、以下の通りである。

☆防火対策
1.破片防御効果を向上するため通気用グリルの改修
2.排気管に対するガソリン配管の保護
3.集合排気管接続部の改造
4.バルブケーシングへの油滴避け
5.排気管上の木の葉などの堆積防止
6.戦闘室から機関室へのアクセスの改良
7.消火器装着(内容量各5リッターの炭酸ガス式消火器2個で構成)

☆地雷対策
1.蓄電池の伸縮式収納架
2.発電機ケーシング固定脚の除去
3.点灯用発電機支持部の改良

☆弱電設備故障原因の除去
1.ボッシュ社製点灯用発電機の装着
2.発電機の副出力取出部は24Vの代りに12Vを給電(無線状況を改善するため)
3.上部車体と下部車体の電波障害除去
4.電流計の損傷防護

☆駆動部
1.スリップクラッチを固定する
2.変速装置のギア比を大きくする
3.新型履帯の導入
4.走行装置のラバークッション更新

☆上部車体
1.前面に雨樋を取り付ける
2.操縦手用ハッチと無線手用ハッチ並びに天板のシーリング
3.下部車体と上部車体の間の継目部分のシーリング
4.通気孔と装甲グリルの取り付け
5.操縦手用ハッチと無線手用ハッチの開放用補助バネの弾圧を高める
6.上部車体前の間隔充填部を下部車体に溶接
7.予備履帯、装具と工具箱を上部車体の後面両側に装着
8.ペリスコープの上に雨避けと日避けを装着
9.機関室天蓋のカヴァー蝶番を溶接により固着

☆その他の変更
1.砲防盾の形状変更と傾斜度設定
2.車体前面機関銃架背後の弾片防護
3.上部車体天蓋装甲板の補強または強化
4.着脱式ハッチを使い、上部車体後面に非常出口を設ける
5.ペリスコープ付き車長用キューポラ
6.砲身用差し込み式機関銃装着の提案
7.無線手用ペリスコープ
8.車長と操縦手の間での電気式送話器
9.ラジエイタとファン駆動装置を改良する
10.後部排気口装甲カヴァーの固定を改良する
11.排気管出口の変更(丈夫な履帯避けが必要)

これらの変更に加えて、さらに戦闘室前面装甲板の無線手側にボール・マウント式銃架が装着され、7.92mm機関銃MG34が取り付けられた。
ニーベルンゲン製作所は、1944年2月、フェルディナント重駆逐戦車20両の全体分解整備作業を行い、3月には27両を処理した。
残りの5両は損傷が著しくて同社では修理できず、陸軍自動車整備部(ウィーン兵器廠)に委託された。

1943年11月29日、ヒトラーは陸軍総司令部に対して、装甲車両およびその他の兵器について名称の変更を提案していた。
彼の命名提案が受け入れられ、1944年2月1日付の命令(1944年2月27日付で再度命令)で確認された。
フェルディナント重駆逐戦車の新名称は、「8.8cmポルシェ突撃砲エレファント」とされた。

これは、クルスク戦においてドイツ軍兵士たちが本車を「エレファント(象)」の愛称で呼んでいたためである。
名称変更が行われたのは、奇しくも、オーヴァーホールと改修が終了したフェルディナント重駆逐戦車の部隊復帰の時点であった。
改修作業後、第653重戦車駆逐大隊の第1中隊はイタリア戦線へ移動した。

同中隊の任務は、1944年2月に構築されたネットゥーノ付近の連合軍橋頭堡に対し、これを圧迫せんとするドイツ軍の支援であった。
第1中隊はエレファント重駆逐戦車11両(車両14両の内3両はニーベルンゲン製作所に残置)、III号弾薬運搬車2両、ベルゲエレファント戦車回収車1両を保有した。
イタリア駐留中、同中隊が申告したエレファント重駆逐戦車の投入台数は次の通りである。

年月日 投入台数
1944年2月23日 申告無し
1944年2月24日 2
1944年2月25日 2
1944年2月26日 2
1944年2月27日 8
1944年2月28日 8
1944年2月29日 11
1944年3月 1日 10
1944年3月 5日 6
1944年3月 7日 6(修理中)
1944年3月10日 6
1944年3月15日 6
1944年3月20日 6
1944年3月25日 8
1944年3月31日 9
1944年5月25日 申告無し
1944年5月28日 5
1944年5月29日 5
1944年5月30日 5
1944年5月31日 2
1944年6月 1日 2
1944年6月 2日 3
1944年6月14日 申告無し
1944年6月18日 1
1944年6月20日 申告無し
1944年6月21日 申告無し
1944年6月22日 3
1944年6月25日 2

1944年3月における第1中隊のエレファント重駆逐戦車の全損は2両であった。
1944年4月1日〜30日の期間、同中隊には稼働可能なエレファント重駆逐戦車が9両あった(修理中の車両無し)。
1944年5月1日〜23日、中隊には稼働可能なエレファント重駆逐戦車が9両あった(修理中の車両無し)。

1944年6月26日、第1中隊に対して、同中隊の修理班を、現在なお北ウクライナで戦っている第653重戦車駆逐大隊の残留部隊に至急貸し出すよう要求が来た。
残りの稼働可能なエレファント重駆逐戦車はイタリアに留まり、戦車を持たぬ乗員はザンクト・ペルテンの訓練宿営地に移動した。

第1中隊がイタリア戦線に投入される一方で、本部並びに第2および第3中隊より成る第653重戦車駆逐大隊の残余は、1944年4月に東部戦線に移動した。
同部隊は、エレファント重駆逐戦車31両に加えて、III号弾薬運搬車3両、ベルゲパンター戦車回収車1両、ベルゲエレファント戦車回収車2両で編制されていた。

再び、北ウクライナ軍集団第1戦車軍傘下のSS第9機甲師団ホーヘンシュタウフェンに配属されたこの部隊は、1944年4月12日、複数のソ連軍防御陣地を攻撃し、ある程度の戦果を挙げた。
1944年4月17日、第653重戦車駆逐大隊は稼働可能なエレファント重駆逐戦車12両と共に撤収した。
1944年夏における第653重戦車駆逐大隊のエレファント重駆逐戦車の稼働状況は、以下の通りである。

年月日 稼働台数 修理中
1944年4月 8日 31 ブランク
1944年4月17日 12 ブランク
1944年4月18日 18 ブランク
1944年4月21日 20 ブランク
1944年5月 1日 16 14
1944年5月11日 21 ブランク
1944年5月21日 27 ブランク
1944年6月 1日 28 3
1944年6月11日 28 ブランク
1944年6月21日 23 ブランク
1944年7月 1日 28 6
1944年7月11日 33 ブランク
1944年7月18日 33 ブランク
1944年7月19日 14 ブランク
1944年7月20日 14 ブランク
1944年7月21日 14 ブランク
1944年7月22日 12 ブランク
1944年7月23日 0 ブランク
1944年8月 1日 0 12

1944年7月18日の北ウクライナ軍集団に対するソ連軍の大攻勢は、ドイツ軍前線の各陣地に深い突破口を開いた。
1944年7月21日、第653重戦車駆逐大隊の投入地域北方でも広い範囲に渡ってソ連軍に前線突破され、複数のドイツ軍部隊が包囲された。
第653重戦車駆逐大隊は、ソ連軍の南翼に対して投入された。

1944年7月22日、同大隊はソ連第6機械化親衛軍団の前線突破によって撤退を余儀なくされた。
第653重戦車駆逐大隊は、わずかに12両のエレファント重駆逐戦車を残すのみとなった。
1944年8月3日、同大隊は遂に、補充再編のためにクラクフへ移動した。
再度、14両のエレファント重駆逐戦車の修理が行われ、1944年9月19日、第17軍(A軍集団)の前線部隊に送られた。

これらの車両は、第653重戦車駆逐大隊の作戦行動可能な1個中隊に編合された。
1944年9月と10月には、故障もなく無事であった。
1944年10月、第653重戦車駆逐大隊に対してヤークトティーガー重駆逐戦車への装備改編命令が出された。
稼働可能なエレファント重駆逐戦車の全車が、東部戦線に残る第614重戦車駆逐中隊に再び編合された。

この中隊は、A軍集団第4戦車軍の指揮下に入った。
1944年12月5日、部隊は投入兵力をエレファント重駆逐戦車13両と申告した(別に1両が修理中)。
1944年12月30日に申告された投入兵力は、エレファント重駆逐戦車14両であった。
1945年2月25日、第614重戦車駆逐中隊は、前線から撤収後、ヴュンスドルフ西方のシュタンスドルフ地域にあった。

この時点で、同中隊にはまだ4両のエレファント重駆逐戦車が残っていた。
その内、2〜3両は修理が必要であった。
1945年4月22日が、第614重戦車駆逐中隊の最後の出撃となった。
同中隊は、ベルリン南方ツォッセン周辺地域の防衛戦で、4両のエレファント重駆逐戦車を駆ってリッター戦闘団を支援した。


<エレファント重駆逐戦車>

全長:    8.14m
車体長:   6.97m
全幅:    3.38m
全高:    2.97m
全備重量: 65.0t
乗員:    6名
エンジン:  マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン×2
最大出力: 600hp/3,000rpm
最大速度: 30km/h
航続距離: 150km
武装:    71口径8.8cm対戦車砲PaK43/2×1 (50発)
        7.92mm機関銃MG34×1 (600発)
装甲厚:   20〜200mm


<参考文献>

・「グランドパワー2005年10月号 フェルディナント & VK45.01(P)図面集」 箙浩一 著  ガリレオ出版
・「第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.2 AFV:1943〜45」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ試作軍用車両」  ガリレオ出版
・「グランドパワー2001年1月号 クルスク戦のフェルディナント」 箙浩一 著  デルタ出版
・「世界の軍用車両(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」  デルタ出版
・「ティーガーI (3) 虎のメカニズム」  デルタ出版
・「PANZER2005年6月号 ドイツ重駆逐戦車 エレファント」 稲田美秋 著  アルゴノート社
・「ピクトリアル 第2次大戦ドイツ自走砲」  アルゴノート社
・「ピクトリアル パンター/ティーガー」  アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ軍自走砲」  アルゴノート社
・「ジャーマン タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著  大日本絵画
・「ティーガー戦車」 W.J.シュピールベルガー 著  大日本絵画
・「特殊戦闘車両」 W.J.シュピールベルガー 著  大日本絵画
・「重駆逐戦車」 W.J.シュピールベルガー 著  大日本絵画
・「ビジュアルガイド WWII戦車(2) 東部戦線」 川畑英毅 著  コーエー
・「戦車名鑑 1939〜45」  コーエー
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著  グランプリ出版
・「異形戦車ものしり大百科」 斎木伸生 著  光人社
・「ドイツ戦車発達史」 斎木伸生 著  光人社
・「図解・ドイツ装甲師団」 高貫布士 著  並木書房


兵器諸元(フェルディナント重駆逐戦車)
兵器諸元(エレファント重駆逐戦車)


BACK  HOME