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IV号戦車の車体にIII号突撃砲の戦闘室を組み合わせた新型突撃砲の開発に、IV号戦車を開発したクルップ社が着手したのは1943年2月であった。 当初の計画では、車体にIV号戦車G型を用いて、III号突撃砲F8型の戦闘室を載せ、車体前部を改設計して、操縦室まで続く傾斜装甲板を採用していたのが大きな特徴であった。 これは計画のみに終わり、続いてクルップ社は各種突撃砲案を提出したものの、IV号戦車の生産を阻害するものとされて具現化には至らなかった。 1943年8月19日から22日の総統会議の席上、前線部隊からの報告がヒトラーへ紹介されたが、そのほとんどが突撃砲の価値を絶賛しており、防衛戦闘を主とした現在の戦況下では、IV号戦車より優れた性能を示していた。 このため、速やかに実戦部隊の戦訓を反映したIV号戦車シャーシーの突撃砲を開発し、生産数を維持したまま短期間のうちに、IV号戦車からを突撃砲へ転換するという可能性について検討し、準備を進めることが決定された。 これに追い打ちをかけるように、1943年11月から始まった連合軍のアルケット社に対する空爆により、工場施設の大半が破壊され、III号突撃砲の生産がストップしてしまったのである。 III号突撃砲は、すでにドイツ軍にとって欠かすことのできない車両となっていたため、これは由々しい問題であった。 ヒトラーは、1943年12月6日から7日の総統会議において、空襲により生産停止となっているIII号突撃砲の緊急代替として、IV号戦車の車体にIII号突撃砲の戦闘室を組み合わせたIV号突撃砲の生産を行うことを承認した。 IV号突撃砲の生産は、それまでIV号戦車の生産を行っていたクルップ社のマクデブルク工場において行うこととされ、併せて、クルップ社での生産準備が整うまで、ダイムラー・ベンツ社のマリーエンフェルデ工場でも生産を行うことが命じられた。 12月14日に、IV号突撃砲の試作車が総統官邸において展示され、12月16日から17日の総統会議の期間中に、IV号突撃砲はヒトラーの全面的承認を得た。 IV号突撃砲は、IV号戦車H型の車体上部にIII号突撃砲G型の戦闘室を載せたものだが、III号戦車とIV号戦車ではフェンダーの位置が異なるため、そのままIII号突撃砲の戦闘室を載せると、側面と前面の一部に隙間が生じてしまうため、この部分に外側から鋼板を装着し、さらに、戦闘室前部と車体に生じる段差を無くすために、この部分に鋼板をボルト止めしたことが相違点となっている。 また、車体長も異なるために、操縦室は戦闘室の内部に収めることができず、このため、戦闘室から張り出しを設ける形で操縦室を独立して備えたのも、IV号突撃砲の特徴である。 操縦室の上面には専用のハッチが装着され、上部には、固定式のペリスコープ2基が角度を変えて設けられている。 また生産中に、戦闘室上面に設けられた折り畳み式機関銃防盾に代えて、車内から射撃ができる遠隔操作式機関銃が採用され、車体前部には砲身固定用のトラベリング・クランプが新設されるなど、両車で採用された装備などの変更が採り入れられている。 また、一部の車両では、主砲防盾に同軸機関銃を装備したものもある。 IV号突撃砲の生産は、1943年12月からダイムラー・ベンツ社で開始され、翌44年1月に30両を完成させた時点でクルップ社に生産は移行し、1945年4月までにクルップ社で1,111両が生産された。 |
<IV号突撃砲> 全長: 6.70m 車体長: 5.92m 全幅: 2.95m 全高: 2.20m 全備重量: 23.0t 乗員: 4名 エンジン: マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン 最大出力: 300hp/3,000rpm 最大速度: 38km/h 航続距離: 210km 武装: 48口径7.5cm突撃加農砲StuK40×1 (63発) 7.92mm機関銃MG34×1 (600発) 9mm機関短銃MP40×2 装甲厚: 10〜80mm |
<参考文献> ・「ジャーマン タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画 ・「突撃砲」 W.J.シュピールベルガー 著 大日本絵画 ・「世界の軍用車両(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」 デルタ出版 ・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー |