38(t)7.62cm対戦車自走砲マルダーIII G型





●開発

1941年6月22日、バルバロッサ作戦発動と共にソ連に侵攻したドイツ軍は、やがて、自分たちの戦車よりも防御力が高く、また、攻撃力も勝っているという信じられない戦車に遭遇した。
しかもそれは、T-34中戦車、KV-1重戦車、KV-2重戦車と多種類に渡っており、確実な対抗手段が8.8cm高射砲による水平射撃のみという事態に及んだ。

以後ドイツ軍は、このT-34中戦車を撃破できる戦車の開発に傾注することとなるが、実戦化には多大な時間を必要とし、にも関わらず、前線からT-34中戦車を撃破できる兵器を望む声は、日ごとに強くなったのである。
このためドイツ軍は、既存の戦車と突撃砲の主砲を長砲身化することで砲口初速の増加を図り、装甲貫徹力を向上する一方で、1940年5月のフランス侵攻作戦で初めて実戦に投入したI号4.7cm対戦車自走砲に範を得て、より大型の戦車をベースに、大口径砲を搭載した対戦車自走砲の開発に着手した。

ドイツ軍には、1939年から開発がスタートし、1941年11月に7.5cmPaK40として制式化された中口径対戦車砲が存在した。
ドイツ軍は、この砲を戦車車体に搭載した対戦車自走砲を一刻も早く実用化したかったのだが、実際に数量が揃うのにはさらなる時間を必要としていた(実際、生産が開始されたのは1942年2月に入ってからのことであった)。

このため、T-34中戦車を撃破できる対戦車自走砲の早急な実戦化の要求に応じるため、装甲貫徹力こそ7.5cmPaK40には劣るものの、能力的には十分なものを備え、しかも大量に捕獲していた、ソ連製の1936年型76.2mm師団砲F-22に白羽の矢が立った。
F-22は、ソ連軍が1935年に開発に着手し、1936年に制式化した汎用火砲であり、榴弾砲、加農砲、はたまた高射砲としても使える、革新的な多目的火砲であった。

このため、当時の同級砲には見られない48口径という長砲身となり、仰角を大きく取れるように、極端なまで後方に砲耳が位置する独特の形状をしていた。
性能は、射距離1,000mで55mmの均質圧延装甲板(傾斜角10度)を貫徹することが可能であった。
ドイツ軍は、このF-22に自軍の用兵思想に合うように改造を加え、7.62cmPaK36(r)と名付けた。

車体については、すでに第一線での運用が難しくなっていた38(t)戦車が用いられることになった。
兵器局第6課は1941年12月22日に、38(t)戦車の生産を行っていたチェコのBMM社に対して、38(t)戦車の車体を用いて、7.62cmPaK36(r)を搭載する対戦車自走砲120両を発注した。
さらに同日、ベルリンのアルケット社に対しても、II号戦車D/E型の車体を用いて、7.62cmPaK36(r)を搭載する対戦車自走砲150両の発注が行われている。

この要求に従い、BMM社では早速開発作業に着手し、1942年初めには基本設計が完了した。
開発期間の短縮のために、38(t)戦車の車体はそのまま流用することとして設計が進められ、車体上面のみを新設計として7.62cmPaK36(r)を搭載しており、そのスタイルは、極めてシンプルかつ生産性の高いものであったが、反面、腰高となってしまったのは問題であった。

1942年1月12日には、BMM社の幹部による生産ラインの検討会議が行われ、続く1月22日には、オーバーホールのために前線から戻された38(t)戦車E型(車体製造番号507)を用い、砲塔を取り外して木製の上部構造と主砲を載せた試作車が、2回目の会合に参加したBMM社の幹部に展示された。
この試作車では、主砲用の弾丸30発を弾薬庫に収め、7.92mm機関銃用のベルト式弾丸300発を収めた弾薬箱5個が搭載されていた。

この2回目の会議の後、試作モックアップは装甲板を用いた上部構造に換装され、実際の7.62cmPaK36(r)を装備する改修を受け、1942年2月11日に、プラハ南西約60kmの地点に設けられたジンス砲兵射撃試験場において主砲の試射が実施された。
これに先立つ1942年1月29日には、SS219-5326の計画名で生産が開始され、38(t)戦車の最終生産型となったG型車体と同じ規格の車体120両をベースに生産が行われた。

BMM社では本車に、「sFL 7.62cmPaK36(r)搭載38(t)G型」の呼称を与えていたが、ドイツ軍は本車に対し、Sd.Kfz.139の特殊車両番号を与えたものの、「マルダーIII」のニックネームは特に用意しなかったようである。
もっとも、II号戦車D/E型に7.62cmPaK36(r)を搭載した車両が「マルダーII」の愛称で呼ばれる場合が多く、このため、38(t)戦車ベースの7.62cmPaK36(r)搭載型も、同様にマルダーIIIと呼ぶのが一般化した。


●車体の構造

マルダーIII対戦車自走砲の車体は、38(t)戦車G型と同仕様で、車体前面上部50mm(16度)、前面下部15mm(74度)、操縦室前面50mm(17度)、車体上面前部12mm(74度)、車体側面15mm(90度)、車体後面上部10mm(60度)、後面下部15mm(16度)、車体下面8mm(0度)の各装甲板を、リベットと溶接両工法を用いて結合していた。
車体最前部には、イギリスのウィルソン社よりライセンス権を得て、さらにプラガ社が独自の改良を加えたプラガ・ウィルソン変速機(前進5段/後進1段)と操向装置が配され、機関室のエンジンと駆動軸で結合されていた。

その後方右側に操縦手、左側に無線手がそれぞれ位置し、無線手は、操縦室前面に装備された7.92mm機関銃MG37(t)の操作も担当した。
この車体機関銃は、戦車時代からの名残りであるが、自走砲で、取り外し式のものではない専用の車体機関銃を装備している例は極めて少なく、珍しい存在といえよう。

また、車体機関銃は操縦手席のフット・ペダルとワイアで結合されており、必要に応じて操縦手が射撃を行うこともできた。
このため、車体前部右側には38(t)戦車と同様に、起倒式の直接照準棒がそのまま残されていた。
もちろん、操縦手が機関銃を左右に振ることはできないため、その際には、車体を左右に向けて射撃を行うことになる。

車体中央部は、上面の装甲板を取り付けずに開いたままとされ、この上に上部構造を載せるという形を採り、主砲と砲座、そして左右それぞれ3個ずつの弾薬箱を置いた戦闘区画を構成し、最後部には機関室が配されていた。
機関室には、スウェーデンのスカニーア・ヴァビス社の手になる1664型ガソリン・エンジンを、プラガ社がライセンス権を取得して国産化したTNHP/S 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力125hp)が搭載されていた。

エンジンの直後にラジエイタ、さらにラジエイタの後方には強制冷却ファンが備えられ、ファンを駆動することにより、通常の戦車型では、機関室左右のエア・インテイクから導入された空気を、ラジエイタを通して冷却した後、暖まった空気を機関室後部に設けられた排出グリルから車外に導いていた。

マルダーIII対戦車自走砲も、基本的には同一の構造だったが、左右のエア・インテイクは塞がれ、戦闘室上面の開口部から空気を取り入れるように変更されていた。
この他、機関室の上面装甲板(10mm)は、装填手の作業スペースを確保すると共に、作業をし易くするよう形状が大きく変化した。

これは、エンジンのシリンダを覆っている中央部分とその後方を、従来通りの盛り上がった形としながら、左右の空気取り入れ口を兼ねる部分がフラットな形状に改められた。
そして、このフラット部分の前部には、車長(右側)と砲手(左側)のシートが設けられ、戦闘に際しては、車長が装填手を兼任した。
さらに、機関室の後部には、薬莢受けとなる鋼製パイプのバスケットが新設されたのも変更点となっている。

なお戦闘時には、車長席と砲手席の背当てが邪魔にならないよう、取り外して車体後部のバスケットに装着していた。
また、機関室中央部の盛り上がった部分には、走行時に砲身が振動して照準機の微調整が狂うのを避けるため、主砲スライド部の後端を固定するトラヴェリング・ロックが備えられ、上部構造前部に装備されたトラヴェリング・クランプと共に主砲を固定するようになっていた。


●上部構造の構造

マルダーIII対戦車自走砲の上部構造は、いずれも16mm厚の装甲板により構成され、オープン・トップとなった操縦室前面装甲板から、機関室隔壁までを覆う形で車体上面に載せられていた。
車体後部にあたる上部構造の側面装甲板は、車体前部のものよりも下方に下がっていたが、これは、機関室の左右にエンジン空気取り入れ用の開口部があることから、これをカバーすることを目的としていたからである。

操縦室上部装甲板の直後からオープン・トップとなっていたが、その左右にあたる装甲板に、ヒンジを備える操縦手と無線手用の2分割ハッチが備えられ、また、このハッチの後方にも1/4円形の装甲板が装着されていた。
操縦室の上面にあたる装甲板前端には、走行時に主砲を振動から守るトラヴェリング・クランプが設けられていたが、機関室上面に装着されたトラヴェリング・ロックで後部を固定する関係上、クランプ使用時は主砲の仰角をかなり大きく取る必要があった。

なお、このクランプは、操縦手がロックの開閉をハッチから身を乗り出して行い、外した後は、スプリングにより前方に倒れる機構が組み込まれていた。
クランプの前には3角形の板が溶接されていたので、ほぼ水平の位置で止まって、操縦手が車外に出ること無く、身を乗り出すだけで立てることができた。

また必要に応じ、冬季時などには、防盾前部から機関室のほぼ中央までをカバーするカンヴァス・トップを掛けて寒気を防いでいたが、このカンヴァス・トップは、後部に透明部が用意された本車専用のものが用いられていた。


●戦闘区画の構造

オープン・トップとされた車体中央部は戦闘区画とされ、操縦手席上部装甲板と機関室隔壁、車体側面左右にそれぞれ補強材を溶接し、この補強材に十字型砲座を各6本のボルトで止めて、中央部に7.62cmPaK36(r)を砲架ごと搭載していた。

主砲の旋回角は左右各21度ずつで、俯仰角は−8〜+13.5度となっていた。
また、主砲の前面と側面を保護する小型の防盾が装着されており、その装甲厚は全て11mmで、そのサイズから考えても気休め程度にしか過ぎなかった。

このためBMM社では、車体後部までを防盾ごと装甲板で囲んだ装甲強化型試作車を製作しているが、これは試作の域を出ること無く終わった。
戦闘区画中央部には、前述の砲座と砲が配され、その空いた空間となる砲架の左右には、それぞれ5発もしくは3発ずつの弾薬を収める弾薬ケースが、左右各3個ずつ収められていた。

また、その左右にあたる車体上面と上部構造の間に生じる空間にも、縦に弾薬3発を収容する弾薬ケースが配されていた。
携行弾薬は合計で30発であった。
戦闘区画といっても、実際のスペースはこの程度しかなく、車長と砲手は機関室上面に設けられたシートに位置するのは先に述べた通りで、その有効面積は極めて限定されたものであった。


●主砲の構造

マルダーIII対戦車自走砲の主砲に採用された1936年型76.2mm師団砲F-22は、ソ連軍から捕獲したものをドイツ軍が対戦車砲として用いたもので、ドイツでの制式名は7.62cmPaK36(r)といい、独自の改良が施されていたのが特徴であった。
原型のF-22は、砲の旋回を左側に配された砲手、俯仰を右側の砲手がそれぞれ担当するという機構を採っており、迅速な操作が要求される対戦車砲としては、扱い難い以外の何ものでもなかった。

このため、7.62cmPaK36(r)では、左側のみで操作を行えるように、右側の俯仰用ギアからシャフトを左側に延ばし、これにハンドルを取り付けて、左側の砲手1名での操作を可能とした。
さらに、照準機は7.5cmPaK40と同じZF社製の3X8に換装されて、より射撃精度の向上が図られ、砲身先端には二重作動式の砲口制退機が装着された。

これらの改修に加え、より威力の高い7.5cmPaK40の弾薬を使用できるように、薬室の内部を削って直径を増やし、7.5cmPaK40の薬莢を挿入できるように改めた。
しかし、そのまま7.5cmPaK40の弾薬を用いると、当然ながら弾丸と主砲内径のサイズが合わないため、命中精度が低下することは明白であった。

このため、薬莢のみ7.5cmPaK40のものを用い、弾丸はF-22のものを使用するという折衷弾薬が生産されたが、その数は6,340発と極めて少なく、命中精度の低下を承知で、7.5cmPaK40用の弾薬を用いるのが一般的であった。
いずれにしても、7.5cmPaK40用の弾丸を用いた場合、砲口初速740m/秒、射距離1,000mでの装甲貫徹力は82mmと、同じ条件での7.5cmPaK40の85mmと大差無い威力を発揮した。

なお、7.62cmPaK36(r)という名称は、牽引型に対して与えられた呼称であり、車載型の場合には、Pz.Sfl.1(装甲自走砲架1型)と、Pz.Sfl.2(装甲自走砲架2型)の2つの呼称が用意されていた。
装甲自走砲架1型はII号戦車ベースの対戦車自走砲に、装甲自走砲架2型は38(t)戦車ベースの対戦車自走砲にそれぞれ用いられたが、その内容は全く同じものであった。


●足周りの構造

足周りは、前方から順に、起動輪、転輪2個をリーフ・スプリングで懸架したサスペンション2組、誘導輪、そして2個の上部支持輪から構成され、起動輪の直径は637mmで、19枚の歯が設けられていた。
車体と比して比較的大直径の転輪は、直径775mmで、6mm厚の鋼板をプレス加工して製作され、周縁部にはソリッド・ゴムのリムが装着されていた。

前後の転輪は、車体に固定されたプレートにスウィングアームを装着し、このアームは転輪中央のハブで留められ、このアームの上に押さえる形でリーフ・スプリングを装着して、サスペンションとしていた。
これを一組として前後に装着しているので、片側の転輪数は4個となる。
極めて単純な構造で、被弾等には強固とはいえないが、整備や交換などの作業はトーションバーよりも容易で、実用性は高かった。

また、車内の床上にトーションバーが無いことで、全高を高めること無く乗員を収めることができ、さらに、停止して射撃を行う際、トーションバーよりも早く揺動が終わるのも利点であった。
誘導輪の直径は535mmで、車軸には履帯張度調節装置が設けられ、後方から専用の工具を用いて装置を回転させることで、車軸を前後に動かすことができた。

220mm径の上部支持輪は、周囲にソリッド・ゴムのリムを持ち、本来ならば、大直径転輪の採用で上部支持輪は必ずしも必要は無いのだが、起動輪が高い位置に配されていたので、履帯の弛みによる脱落を防止するため装備されたものである。
履帯は、履板のサイズが幅293mm、長さ104mmで、ピンにより結合され、割りピンを用いてその脱落を防いでおり、片側92〜94枚の履板で構成され、耐用距離は5,000kmが保証されていた。


●生産

SS219-5326の生産計画名で、1942年2月からマルダーIII対戦車自走砲の生産がBMM社においてスタートした。
38(t)戦車の生産に要するマン・アワーは5,600時間なのに対し、マルダーIII対戦車自走砲はこれが4,600時間と、期待通り大きな製造時間の短縮ができることを立証した。
BMM社では、1週当たりの生産数は16〜18両と試算を立て、最初に発注された129両の内、最初の17両は1942年3月24日までに引き渡しを終え、最後の17両が引き渡されたのは1942年5月5日のことであった。

これらのマルダーIII対戦車自走砲にBMM社が用意した生産番号は1369〜1479で、続いて47両が追加発注されており、1480〜1526の生産番号で生産が行われ、1942年6月20日には追加分の第47号車が引き渡しを終えている。
これらの生産車の一部は、北アフリカ戦線向けの熱帯仕様型として生産が行われた。

これは、ドイツ軍からの要求に従ったものであり、まずアルケット社において、38(t)戦車G型(生産番号1348)に対し、エンジンに防塵フィルタを装着する改造を施した試作車が製作され、この車両は、1942年3月9日にBMM社に送られてきた。
この改修を基にして、BMM社ではマルダーIII対戦車自走砲18両に対して、同様の改修を1942年5月5〜8日にかけて実施した。

この車両の車体製造番号は1428〜1445で、第1次発注分の車両から抽出されたことが分かる。
1942年6月には、さらに23両のマルダーIII対戦車自走砲が熱帯仕様型として完成し(生産番号1527〜1540、1542〜1550)、1942年7月にも16両(生産番号1541、1572〜1575、1577〜1579、1581〜1585、1604、1620)が生産された。

1942年6月20日、BMM社は38(t)戦車G型の最終生産車をロールアウトさせて、戦車型の生産を完了した。
この結果、後はマルダーIII対戦車自走砲の生産に専念することになったが、1942年春には、主砲を本命の46口径7.5cm対戦車砲PaK40に換装し、戦闘室の形状をリファインした改良型の開発がスタートしている。
これが、「マルダーIII H型」と呼ばれる新型の対戦車自走砲であり、1942年5月18日付で生産が認可されている。

マルダーIII H型の試作車は、1942年7月30日には主砲の射撃試験を実施していたが、当時生産中だったマルダーIIIの生産を阻害しないよう、発注数を全て完成させた後、このマルダーIII H型へ生産を切り替えることが決まった。
そして、従来のマルダーIIIは、最終的に1942年10月まで生産が続けられ、合計で344両が完成し、1942年11月からは、マルダーIII H型に生産が切り替わっている。

生産時期 生産数
1942年4月 38
1942年5月 82
1942年6月 23
1942年7月 50
1942年8月 51
1942年9月 50
1942年10月 50

マルダーIII対戦車自走砲の月別の生産数は上表の通りで、この344両をもって生産は終了した。
これらには、生産番号1360〜1550、1554〜1600が与えられ、また生産コストは、官給品扱いの武装と無線などの装備品を除いて、通常型が54,785ライヒスマルク、熱帯仕様型が55,100ライヒスマルクだったと伝えられている。

さらに、1942年7月の生産車からは、マルダーIII H型向けとして開発された出力向上型エンジン=プラガAC 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力150hp)が搭載され、最大回転数も2,200rpmから2,600rpmに向上し、この結果、路上最大速度は42km/hから49.5km/hに大きく向上した。
さらに燃料消費量も改善され、約12kmほど航続距離が延びているのも特徴である。

これら新規生産車とは別に、オーバーホールなどで前線から戻された38(t)戦車の一部が、マルダーIII対戦車自走砲に改造されている。
BMM社の記録では、84セットの改造キット(主砲なども含む)が製作されたとあるので、84両、もしくはそれに近い改造車が完成したものと思われる。


●部隊配備

1942年末より部隊への引き渡しが開始されたマルダーIII対戦車自走砲は、機甲師団や機甲擲弾兵師団、歩兵師団の戦車駆逐大隊と、独立戦車駆逐大隊が装備した。
マルダーIII対戦車自走砲が配備された当時の各師団内の戦車駆逐大隊の編制は、大隊本部と3個戦車駆逐中隊というもので、第1、第2中隊は自走化されて対戦車自走砲をそれぞれ14両装備し、第3中隊は牽引式対戦車砲12門を装備していた。

一方、独立戦車駆逐大隊では、3個中隊編制であることは変わらないが、3個中隊全てが自走化されていた。
それぞれの中隊は、対戦車自走砲3両を装備する小隊3個で編制され、各中隊には本部車両として3両が配備されたので、中隊当たりの装備数は12両となり、大隊単位では36両となる。

しかし、部隊配備といっても、その装備車種がマルダーIIIとは記されているものの、7.62cmPaK36(r)搭載型か、7.5cmPaK40搭載型かを判読することはできないため、7.62cmPaK36(r)搭載型の配備先の詳細はよく分かっていない。
現在判明しているものについては下表の通りであるが、表に記載したほとんどの部隊が7.5cmPaK40搭載型との混成となっていたので、大隊としての装備数はこの数字より多い。

配備先 配備数 時期/戦域
第1機甲師団 第37戦車駆逐大隊 49(7.5cm型含む) 1943年/補充
第5機甲師団 第53戦車駆逐大隊 12 1943年/東部戦線
第7機甲師団 第42戦車駆逐大隊 24 1943年/東部戦線
第8機甲師団 第43戦車駆逐大隊 6 1943年/東部戦線
第15機甲師団 第33戦車駆逐大隊 4 1943年/東部戦線
第17機甲師団 第27戦車駆逐大隊 1 1943年/東部戦線
第19機甲師団 第19戦車駆逐大隊 13 1943年/東部戦線
第20機甲師団 第92戦車駆逐大隊 12 1943年/東部戦線
第21機甲師団 第39戦車駆逐大隊 34 1943年/北アフリカ戦線
第20機甲擲弾兵師団 第8戦車駆逐大隊 7 1943年/東部戦線
独立第616戦車駆逐大隊 4 ブランク
独立第731戦車駆逐大隊 1 ブランク

マルダーIII対戦車自走砲は、主に東部戦線の戦車駆逐大隊に配属されたが、北アフリカ戦線にも66両(熱帯仕様型57両、通常型9両)が送られており、強力な対戦車火力として活躍した。


<38(t) 7.62cm対戦車自走砲マルダーIII G型>

全長:    5.85m
車体長:   4.56m
全幅:    2.16m
全高:    2.50m
全備重量: 10.67t
乗員:    4名
エンジン:  プラガEPA 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 125hp/2,200rpm
最大速度: 42km/h
航続距離: 185km
武装:    51.5口径7.62cm対戦車砲PaK36(r)×1 (30発)
        7.92mm機関銃MG37(t)×1 (1,200発)
装甲厚:   10〜50mm


<参考文献>

・「PANZER1999年4月号 ラッチュ・ブム ドイツ軍戦車を血祭りに上げたソ連76.2mm野砲」 古是三春 著
 アルゴノート社
・「PANZER2001年12月号 マルダーIII対戦車自走砲ファミリー」 後藤仁 著  アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ軍自走砲」  アルゴノート社
・「グランドパワー2001年7月号 マーダーIII対戦車自走砲(1)」 箙浩一 著  デルタ出版
・「世界の軍用車両(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」  デルタ出版
・「ジャーマン タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著  大日本絵画
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著  グランプリ出版
・「異形戦車ものしり大百科」 斎木伸生 著  光人社
・「図解・ドイツ装甲師団」 高貫布士 著  並木書房
・「戦車名鑑 1939〜45」  コーエー


兵器諸元

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